金城町の石畳(真珠道)
第2尚王朝三代王「尚真(ショウシン)」は、首里城下を整備するため1522年に石畳道を作った。「真珠道(マダマミチ)」と言われたこの道は、首里城と那覇港さらには、南部の島尻(シマジリ)を結び盛んだった中国や南方との交易で、港に陸揚げされたさまざまな物資は、この石畳の坂道を通ってはこばれた。
もっとも重要な経済道路だけでなく那覇港への外敵が侵入してきた場合、ただちに軍勢を動員する軍用道路でもあった。
第2尚王朝三代王「尚真(ショウシン)」は、首里城下を整備するため1522年に石畳道を作った。「真珠道(マダマミチ)」と言われたこの道は、首里城と那覇港さらには、南部の島尻(シマジリ)を結び盛んだった中国や南方との交易で、港に陸揚げされたさまざまな物資は、この石畳の坂道を通ってはこばれた。
もっとも重要な経済道路だけでなく那覇港への外敵が侵入してきた場合、ただちに軍勢を動員する軍用道路でもあった。
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