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琉球戦国時代の武将

2006年06月30日

Posted by ☆新米社長☆ at 09:02 │Comments( 0 ) 琉球の歴史
ファイル№7
~忠臣護佐丸(ゴサマル)~
琉球戦国時代の武将
護佐丸(ゴサマル)中城へ移る

1440年、尚巴志王が亡くなり息子の尚忠が即位すると、護佐丸は、さっそく読谷山の
兵を率いて中城へと移ります。
中城へ移った護佐丸は、すぐに勝連城に向かう北東部に城壁を築いて、城郭を広げます。
正門からグスク内に入ると、最初に細長い曲輪が、広がっていて、その左手に、下がって
いくと井戸があり井戸の反対側、右手の石門をくぐると樹木が生い茂る拝所に行き当たり、
この聖域を含む一帯が南の郭とされ城壁には、城が戦場となった場合に備えて、狭間が
造られて、南の郭を奥へ進むと順次、一の郭、二の郭、そして三の郭、北の郭へと至る。
三の郭を囲う城壁は、中城城城内全体の石の積み方と異なっていて、護佐丸(ゴサマル)が
築いたと言われ、15世紀ごろ勝連城主の阿麻和利(アマワリ)を見張るため、座喜味グスク
から居城を移し整備したと、伝えられています。
中城グスクは沖縄の中央に陣取っていて、北山討伐でその名を上げかつ尚巴志王とは、
姻戚関係を結び娘は尚泰久の妃となり、王舅(オウキュウ)とし琉球第一の武将として、絶大
な権力を振るいます。



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